夢でいいから

自分のこと、好きなもののこと、気になること、言いたいこと

救い

ここのところ、沢山の人と深く語り合う時間が多く設けられている。

そのおかげで、いつも考えが至らない深いところまで物事を吟味している気がする。

 

最近考えるのは救いのこと。

「その時」が来たら全ての悪が赦されない。

そもそもにして信じないことが悪なのだから、信じなければ救われない。

まず、救いという言葉自体に凄く選別的な要素を感じてしまうのだけれど、選別をする気持ちを含んでいるのではない。

私は愛する人たちに苦しみを味わってほしくない。

でも私の信じる世界では、私の信じているものを信じない人は「その時」が来たら永久的な苦しみを受ける。

対して、信じる者は「永遠のいのち」なのだ。

私の大好きな友達、大切な人、全て信じないと苦しみを受け、信じると永遠のいのちを得る。

私がどうでもいい人たちにではなく本当に大切な人たちに伝えたくて仕方がないのは、本当に大切な人たちには苦しんで欲しくないから。

「その時」に一緒に永遠のいのちを得たいから。

選別ではなく、懇願なのだ。

お願いだから、私の愛する神を知ってください。

お願いだから、あなたが苦しむことを考えたくないから一緒に来てください。

感覚としては、地震が来て私はじきに津波が来ることを知っている。そしてその場から高台に逃げようとする時、その場に留まろうとしている友人を必死に説得しているような感じ。

 

恩師と先日話をしてきた。

彼女から聞いて、心に残ったのは「私たちがキリスト者であることで何か良くしてくれた人は悪いようにはされない」ということ。

どの箇所から引用された話かは忘れてしまったのだけれど、

先日私に「キリスト教を信じている、宗教者である君は位が高い」と言った彼は少しでも報われるだろうか。心の病を負っていて、いつ自らの人生を自らの手で終わらせる選択をするかわからない彼に対して、神は働いてくれるのだらうか。きっとこれは私の祈りに依るところだろうけれど。

彼の話には凄く励まされると同時に深い悲しみを感じたり否定したくてもうまく否定できない歯痒さがある。どうやったら彼に何か私の思う「真実」を伝えることができるだろうか。

 

私の周りの私の大切な人には私が伝えることができるけれど、私の手の届かないところにいる大好きな人にはどうやって伝えたらいいのだろう。

彼の苦しみは耐えられない。

手紙でも書けばいいのか。でも胡散臭いと思われるかも。読まれないかも。

これも祈りの領域かもしれない。

彼は私の知っている範囲では誠実だし論理的なことを好む傾向があるように思うから、刺さって真実だと分かればいいかもしれない。

 

救いって何だろう。

私には何ができるだろう。

日本の99%のうちの私の大切な人だけでも、ほんの少しだけでも、苦しい思いをしないようになりますように。

そして私に伝えたいという思いが起こされている今、沢山の言葉や考えを学んで、より的確により分かりやすく伝えていくことができますように。